teraumiブログ
なぜteraumi?!🚢
みなさまこんにちは
teraumi案内人 堤です
寺への納骨を希望するけど、跡継ぎのいない我が家。いつかは寺に迷惑をかけてしまうのでは・・・
「お寺に納骨」か「海洋散骨」か──そのどちらも叶えるteraumiという選択
先日、昨年teraumiをご利用くださったお客様とお話しする機会がありました。
その中で私自身、「なるほど……」とうなずかされるお話をいただきました。
「お寺か海か」ではなく「お寺にも海にも」
お寺に納骨×海洋散骨 teraumi(テラウミ) は、
-
「お寺に納骨する」
-
「海洋散骨をする」
という二つのうち、どちらか一つだけを選ぶのではなく、
「お寺にも納骨できる」し「海洋散骨もできる」
その両方を叶えることができる仕組みです。
これまでにも、
「菩提寺に納骨したらいいのでは?」
「海洋散骨だけでいいのでは?」
といったご意見をいただくことがありました。
けれども、皆さまにはそれぞれの事情や想いがあります。
「家族の形」「お寺とのご縁の有無」「将来そのご縁を引き継ぐ人がいるかどうか」──
どれ一つとして同じ状況はありません。
先日teraumiをお申し込みくださったY様も、まさにそんなお一人でした。
「お寺とのご縁は持ちたい。でも、後を継ぐ家族がいない」
Y様はこれまで、特にお付き合いをしてきたお寺がなかったそうです。
「法要などはしてもらいたい気持ちはあるんです。
でも、後を引き継いでくれる家族もいないので、
いまから新しくお寺の檀信徒になるのも難しくて……
ずっと納骨先に悩みを抱えていました。」
お寺とのご縁を持ちたい思いはある。
けれども、そのご縁を未来へつないでくれる人がいない。
その中で、「お寺に納骨」か「海洋散骨か」の二択ではなく、
「お寺にも納骨できて、なおかつ海への散骨もできる」teraumi を知ってくださり、ご相談をいただきました。
故人の「海へ散骨してほしい」という希望と、ご親族の想い
Y様によると、亡くなられたご家族様は生前から、
「自分の遺骨は海洋散骨してほしい」
という希望をお話しされていたそうです。
Y様は、その希望をできる限り叶えてあげたいと考えていらっしゃいました。
しかしご親族の中には、
-
「すべてを海に散骨してしまうのは、なんとなく寂しい」
-
「どこか“お参りできる場所”も残しておきたい」
と、海洋散骨に対して難色を示される方もいらっしゃったそうです。
「分骨して、海にも、お寺にも」──teraumiが選ばれた理由
そこでY様は、遺骨を分骨するという方法を考えられました。
-
一部を「故人の希望を叶えるための海洋散骨」に
-
一部を「お寺への納骨」に
この二つを同時に叶えられる仕組みとして、
お寺納骨×海洋散骨のteraumi のお話を、ご親族に丁寧に説明されたそうです。
するとご親族からは、
「その方法なら、みんなが納得できるね」
「海にも送ってあげられるし、お参りできる場所も残るから安心です」
と、賛同のお声をいただけたとのことでした。
この「故人の希望」と「残されたご家族の安心」の両方を大切にできることが、
Y様にとって、teraumiを選ぶ決め手となったそうです。
故人の望みを叶えながら、
ご家族もまた、心の拠りどころを持てるように──。
teraumiは、「どちらかをあきらめる」のではなく、
「どちらの想いも大切にする」ための、ひとつのかたちとして
これからもお手伝いをさせていただけたらと思っています。
【寄稿記事】自宅の遺骨安置が違法になるのはどんなケース?
自宅の遺骨安置が違法になるのはどんなケース?
故人を偲び、遺骨を自宅で保管する「手元供養」を選ぶ人は少なくありません。
「手元供養」という言葉が生み出される以前から、大勢いたと思われます。
大阪の企業による2019年の調査では、関西に住む40〜79歳の方の7.1%が自宅に遺骨を保管しているというデータもあります。
「お墓は法律で許可を受けた場所にしか作れないはず」
「じゃあ、お骨を自宅に置いておいても犯罪にならないの?」
巷間よく話題になりますが、結論として、自宅での遺骨保管は法律違反には当たりません。
保管期間についても上限は設けられていないため、いつまでも保管を続けることが可能です。
違法になるのは「預かり」と「埋葬」
では、何が違法となるのでしょうか。違法行為となる論点は主に二つです。
一つ目は、「他人の委託を受けて」遺骨を保管することです。
報酬の有無にかかわらず、身内以外の友人や知人など、他人の遺骨を預かる行為は、納骨堂以外では違法となるおそれがあります。
これは、一般市民だけでなく、お寺でも同じ理屈です。
二つ目は、庭など私有地に遺骨を埋める行為です。「墓地、埋葬等に関する法律」(墓埋法)第4条により、「焼骨の埋蔵は、墓地以外の区域に、これを行ってはならない」と規定されており、違反者には罰則が定められています。
結論
手元供養として、ご自身の身内の遺骨を自宅で大切に保管することは、期間の定めなく合法的に可能です。
しかし、遺骨を庭に埋めること、また、身内以外の遺骨を預かる行為は、法に触れます。
あまりないケースだとは思いますが、知人に頼まれて遺骨を預かっているーーなんてことはないように、お気をつけください。
(株)366代表取締役CEO 伊藤照男氏より寄稿
終活のお話…「家族が持つのは同意権」延命の判断を迫られた時…
人の死亡率は100%――。
皆さんこんにちは。
有限会社縁・堤です。

先日、「ミドルエイジのための終活ライフプラン塾」に参加させていただきました。
講師は社会福祉法人恩賜財団済生会 鹿児島病院副医院長 内科・脳神経内科 黒野 明日嗣先生
「あたりまえ」のことが「あたりまえ」でないことに気が付く、そして、知らないことをわかりやすくご教示いただけた貴重な時間でした。
「人の死亡率は100%」
この当たり前の事実を、私たちはつい見ないようにして日々を過ごしています。
しかし、いつか必ず訪れる「その時」に備えて、
自分がどのような医療やケアを受けたいのかを考えておくことは、
自分の尊厳を守るだけでなく、家族を迷わせないためにも大切です。
終末期に備えるということ
終末期には、本人が意思表示できなくなることがあります。
その際に問われるのは、「延命治療をどこまで行うか」、
そして**「苦痛をどの程度和らげるか」**という選択です。
日本では「医療の最終的な決定権は本人」にありますが、
実際の現場では、家族に“同意”を求められることが多くなっています。
そして日本人によくみられる「先送り(後回し)」…が大きな課題を生んでいるそうです。
医療現場でよくある場面
たとえば、救急外来に意識のない患者さんが運ばれてきたとします。
呼吸が止まりそうで、すぐに人工呼吸器を装着する必要がある場合、
医師はまず家族に尋ねます。
「延命処置をしてもよろしいですか?」と。
治療に関しての決定をくだせるのは【本人の意思】であって
家族が持っているのは【治療についての同意】だけだそうです。
そう問われた家族は多くの場合、
「できることは全部お願いします」と答えるほかありません。
本人の意向を聞けないまま、命をつなぐ判断が下されるのです
現場でよく使われる言葉
- DNAR(Do Not Attempt Resuscitation):
「心肺停止状態になった際に蘇生を試みない」こと - ACP(Advance Care Planning)=人生会議:
元気なうちに、自分が望む医療やケアの内容を、
家族や医療者と話し合っておく取り組み。
ACPは「終末期」だけでなく、
「看取り期」や「亡くなった後の対応」まで含めた、
人生の最終段階全体を見据えた考え方です
人が最後を迎える4つのパターン
人の最期にはいくつかの傾向があります。
- ピンピンコロリ型(100人中5人)
元気に過ごし、急に旅立つタイプ。日頃の健康管理が鍵。 - 亜急性型(がんなど)
治療を続けながら、少しずつ体力が落ちていくタイプ。 - 慢性疾患型(慢性腎不全など)
長い治療生活の中で、徐々に体力が低下していくタイプ。 - 慢性衰弱型(フレイル・認知症など)
年齢とともに少しずつ弱っていくタイプ。
医療には限界があります。
抗菌薬で感染症を抑えることはできても、完全に治癒できるとは限りません。
治療が奏功するかどうかは、最終的には本人の回復力(自己修復力)**に委ねられるそうです。
医療はあくまで「補助の道具」。
手術をしても、回復するのは本人の力です。
年齢とともにその力は衰えてく・・・。
「できることはすべてお願いします」という言葉が家族からよく聞かれますが、
それが本当に本人の望みだったのかは、誰にも分かりません。
(テレビドラマの影響でOPEや治療により元気ピンピンに回復する、というイメージがありがちですが、現実はそうではないようです)
家族の葛藤
家族にとって、治療をやめる決断はとても重いものです。
「自分が諦めたら、両親は死んでしまうのではないか」
そんな思いから、わずかな可能性に賭けて治療を続ける選択をする人も多いです。
一方で、「とりあえずできることを全部お願いする」ことが
“最も無難な選択”だと思われがちですが、
その結果、本人が望まなかった治療を受けることもあります。
だからこそ、自分自身で事前に決めておくことが大切なのです。
尊厳ある選択 ― テリ・シャイボ事件に学ぶ
1990年、アメリカのテリ・シャイボさんは心肺停止後、
生命維持装置によって延命されました。
夫は「尊厳死を望んでいた」と主張し、
両親は「回復の見込みがある」と反対。
訴訟は数年に及び、その間に法律さえ変わりました。
この事件は、「本人の意思を残すこと」の重要性を世界に知らしめた出来事でした。
回復の限界
脳死と診断される場合、回復の見込みはないとされます。
奇跡的に回復する例があっても、
もとの状態以上に良くなることはほとんどありません。
寝たきりの人は回復しても寝たきりのまま、
意思表示ができなかった人は、やはり意思を伝えられないままです。
多くの人は、亡くなる3〜4年前から少しずつ体力や食欲が落ちていきます。
「死」は突然ではなく、静かに準備が始まっているのです。
がんと余命の告知
がんで「余命6か月」と伝えられたとき、
治療を続けるか、緩和ケアへ移行するか――
それは本人の価値観によって決まります。
医療をどう選ぶかではなく、
**「どう生きたいか」**を考えることが、
穏やかな最期を迎える第一歩です。
まとめ
人生の最期をどう過ごしたいか。
その答えに「正解」はありません。
ただ、元気なうちに自分の思いを残しておくことで、
家族の迷いや後悔を少しでも減らすことができます。
「リビングウィル」や「ACP(人生会議)」は、
自分の命を他人に委ねず、自らの生き方を選ぶための大切な対話です。
残念ながらこの文章は
黒野 明日嗣先生のお話の前半部分のみ・・・
後半部分は【認知症】について触れられていうようでしたが
昨日🎂だった長男の誕生日会のため、母は帰宅・・・
続きのお話はまた機会がありましたら是非拝聴させていただきたいと思います♪

